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どうひょう
道標
宮本 百合子
第一部「展望」筑摩書房、1947(昭和22)年10月号~1948(昭和23)年8月号<br> 第二部「展望」筑摩書房、1948(昭和23)年9月号~1949(昭和24)年5月号<br> 第三部「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年10月号~1950(昭和25)年2月号、1950(昭和25)年4月~12月号<br> 資料「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年8、9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 846,457 字 · 1672 页
ありがとうという言葉は夫人として云わない習慣らしかった。
こういう贈呈の儀式がすむと、夫人は再び黙りこんだ。瀬川雅夫の言葉は自由でも、それを活用する自然なきっかけが明るい寒色の広間のどこにもなかった。三人は、そこで、会見は終ったものとしてそとに出た。
ドアをしめるのを待ちかねたようにして、素子が、
「おっそろしく気づまりなんですね、文化連絡って、あんなものかい」
と、ひどくおこった調子で云った。
「どんなえらい女かしらないけれど、ありがとうぐらい云ったって、こけんにかかわりもしまいのに」
瀬川はおどろいたように鼻の下の黒い髭を動かして、
「云いましたよ! ね、云ったでしょう?」
並んで歩いている伸子をかえりみた。
「さあ……わたしは、ききませんでした。――いつも、ああいう人なの?」
「そうですか? 変だなあ、……云いませんでしたか。云ったとばかり思ったがな」
「――まるでお言葉をたまわる、みたいで、おそれいっちまうな」
瀬川は、素子のその言葉は上の空にきいて、内心しきりに、夫人がありがとうと云わなかったというのが事実だったかどうか、思いかえしている風だった。
そこへ、廊下のかどからノヴァミルスキーが出て来た。