Japanische Klassiker mit Furigana
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
Lesen Sie 渋江抽斎 (しぶえちゅうさい) von Mori Ōgai (森 鴎外) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 166.525 Zeichen · 334 Bildschirme
良三はまだ残の金を持っていたので、迎えに来た男を随えて東上するのに、駅々で人に傲ること貴公子の如くであった。この時肥後国熊本の城主細川越中守斉護の四子寛五郎は、津軽順承の女壻にせられて東上するので、途中良三と旅宿を同じうすることがあった。斉護は子をして下情に通ぜしめんことを欲し、特に微行を命じたので、寛五郎と従者とは始終質素を旨としていた。驕子良三は往々五十四万石の細川家から、十万石の津軽家に壻入する若殿を凌いで、旅中下風に立っている少年の誰なるかを知らずにいた。寛五郎は今の津軽伯で、当時裁に十七歳であった。
小野氏ではこの年令図が致仕して、子富穀が家督した。令図は小字を慶次郎という。抽斎の祖父本皓の庶子で、母を横田氏よのという。よのは武蔵国川越の人某の女である。令図は出でて同藩の医官二百石小野道秀の末期養子となり、有尚と称し、後また道瑛と称し、累進して近習医者に至った。天明三年十一月二十六日生で、致仕の時七十五歳になっていた。令図に一男一女があって、男を富穀といい、女を秀といった。
富穀、通称は祖父と同じく道秀といった。文化四年の生である。十一歳にして、森枳園と共に抽斎の弟子となった。