Japanische Klassiker mit Furigana
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
Lesen Sie 渋江抽斎 (しぶえちゅうさい) von Mori Ōgai (森 鴎外) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 166.525 Zeichen · 334 Bildschirme
その三十一
忠兵衛は三人の子の次第に長ずるに至って、嫡子には士人たるに足る教育を施し、二人の女にも尋常女子の学ぶことになっている読み書き諸芸の外、武芸をしこんで、まだ小さい時から武家奉公に出した。中にも五百には、経学などをさえ、殆ど男子に授けると同じように授けたのである。
忠兵衛が此の如くに子を育てたには来歴がある。忠兵衛の祖先は山内但馬守盛豊の子、対馬守一豊の弟から出たのだそうで、江戸の商人になってからも、三葉柏の紋を附け、名のりに豊の字を用いることになっている。今わたくしの手近にある系図には、一豊の弟は織田信長に仕えた修理亮康豊と、武田信玄に仕えた法眼日泰との二人しか載せてない。忠兵衛の家は、この二人の内いずれかの裔であるか、それとも外に一豊の弟があったか、ここに遽に定めることが出来ない。
その三十一
五百は十一、二歳の時、本丸に奉公したそうである。年代を推せば、文政九年か十年かでなくてはならない。徳川家斉が五十四、五歳になった時である。御台所は近衛経煕の養女茂姫である。
五百は姉小路という奥女中の部屋子であったという。姉小路というからには、上臈であっただろう。