Japanische Klassiker mit Furigana
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
Lesen Sie 渋江抽斎 (しぶえちゅうさい) von Mori Ōgai (森 鴎外) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 166.525 Zeichen · 334 Bildschirme
その三十四
その三十四
五百は父忠兵衛をいたわり慰め、兄栄次郎を諌め励まして、風浪に弄ばれている日野屋という船の柁を取った。そして忠兵衛の異母兄で十人衆を勤めた大孫某を証人に立てて、兄をして廃嫡を免れしめた。
忠兵衛は十二月七日に歿した。日野屋の財産は一旦忠兵衛の意志に依って五百の名に書き更えられたが、五百は直ちにこれを兄に返した。
五百は男子と同じような教育を受けていた。藤堂家で武芸のために男之助と呼ばれた反面には、世間で文学のために新少納言と呼ばれたという一面がある。同じ頃狩谷斎の女俊に少納言の称があったので、五百はこれに対えてかく呼ばれたのである。
五百の師として事えた人には、経学に佐藤一斎、筆札に生方鼎斎、絵画に谷文晁、和歌に前田夏蔭があるそうである。十一、二歳の時夙く奉公に出たのであるから、教を受けるには、宿に下る度ごとに講釈を聴くとか、手本を貰って習って清書を見せに往くとか、兼題の歌を詠んで直してもらうとかいう稽古の為方であっただろう。
師匠の中で最も老年であったのは文晁、次は一斎、次は夏蔭、最も少壮であったのが鼎斎である。年齢を推算するに、五百の生れた文化十三年には、文晁が五十四、一斎が四十五、夏蔭が二十四、鼎斎が十八になっていた。