Japanische Klassiker mit Furigana
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
Lesen Sie 渋江抽斎 (しぶえちゅうさい) von Mori Ōgai (森 鴎外) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 166.525 Zeichen · 334 Bildschirme
桂山の孫、柳の子である。文化三年に生れ、文政十年六月三日に父を喪って、八月四日に宗家を継承した。暁湖の後を襲いだのは養子元佶で、実は季の弟である。
安政五年には二月二十八日に、抽斎の七男成善が藩主津軽順承に謁した。年甫て二歳、今の齢を算する法に従えば、生れて七カ月であるから、人に懐かれて謁した。しかし謁見は八歳以上と定められていたので、この日だけは八歳と披露したのだそうである。
五月十七日には七女幸が生れた。幸は越えて七月六日に早世した。
この年には七月から九月に至るまで虎列拉が流行した。徳川家定は八月二日に、「少々御勝不被遊」ということであったが、八日には忽ち薨去の公報が発せられ、家斉の孫紀伊宰相慶福が十三歳で嗣立した。家定の病は虎列拉であったそうである。
この頃抽斎は五百にこういう話をした。「己は公儀へ召されることになるそうだ。それが近い事で公方様の喪が済み次第仰付けられるだろうということだ。しかしそれをお請をするには、どうしても津軽家の方を辞せんではいられない。己は元禄以来重恩の主家を棄てて栄達を謀る気にはなられぬから、公儀の方を辞するつもりだ。