Japanische Klassiker mit Furigana
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
Lesen Sie 渋江抽斎 (しぶえちゅうさい) von Mori Ōgai (森 鴎外) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 166.525 Zeichen · 334 Bildschirme
嘉永三年に二十九歳で奥医師になっていた。
説文会には島田篁村も時々列席した。篁村は武蔵国大崎の名主島田重規の子である。名は重礼、字は敬甫、通称は源六郎といった。艮斎、漁村の二家に従学していた。天保九年生であるから、嘉永、安政の交にはなお十代の青年であった。抽斎の歿した時、豊村は丁度二十一になっていたのである。
抽斎の好んで読んだ小説は、赤本、菎蒻本、黄表紙の類であった。想うにその自ら作った『呂后千夫』は黄表紙の体に倣ったものであっただろう。
抽斎がいかに劇を好んだかは、劇神仙の号を襲いだというを以て、想見することが出来る。父允成がしばしば戯場に出入したそうであるから、殆ど遺伝といっても好かろう。然るに嘉永二年に将軍に謁見した時、要路の人が抽斎に忠告した。それは目見以上の身分になったからは、今より後市中の湯屋に往くことと、芝居小屋に立ち入ることとは遠慮するが宜しいというのであった。渋江の家には浴室の設があったから、湯屋に往くことは禁ぜられても差支がなかった。しかし観劇を停められるのは、抽斎の苦痛とする所であった。抽斎は隠忍して姑く忠告に従っていた。