Japanische Klassiker mit Furigana
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
Lesen Sie 渋江抽斎 (しぶえちゅうさい) von Mori Ōgai (森 鴎外) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 166.525 Zeichen · 334 Bildschirme
元禄七年の生であるから、四十七歳で歿したのである。
輔之には登勢という女一人しかなかった。そこで病革なるとき、信濃の人某の子を養って嗣となし、これに登勢を配した。登勢はまだ十歳であったから、名のみの夫婦である。この女壻が為隣で、抽斎の曾祖父である。為隣は寛保元年正月十一日に家を継いで、二月十三日に通称の玄春を二世玄瑳と改め、翌寛保二年七月二日に歿し、跡には登勢が十二歳の未亡人として遺された。
寛保二年に十五歳で、この登勢に入贅したのは、武蔵国忍の人竹内作左衛門の子で、抽斎の祖父本皓が即ちこれである。津軽家は越中守信寧の世になっていた。宝暦九年に登勢が二十九歳で女千代を生んだ。千代は絶えなんとする渋江氏の血統を僅に繋ぐべき子で、あまつさえ聡慧なので、父母はこれを一粒種と称して鍾愛していると、十九歳になった安永六年の五月三日に、辞世の歌を詠んで死んだ。本皓が五十歳、登勢が四十七歳の時である。本皓には庶子があって、名を令図といったが、渋江氏を続ぐには特に学芸に長じた人が欲しいというので、本皓は令図を同藩の医小野道秀の許へ養子に遣って、別に継嗣を求めた。