Japanische Klassiker mit Furigana
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
Lesen Sie 渋江抽斎 (しぶえちゅうさい) von Mori Ōgai (森 鴎外) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 166.525 Zeichen · 334 Bildschirme
歿する日には朝から物を書いていて、午頃「ああ草臥れた」といって仰臥したが、それきり起たなかった。岡西氏徳の生んだ、抽斎の次男は此の如くにして世を去ったのである。優は四十九歳になっていた。子はない。遺骸は感応寺に葬られた。
優は蕩子であった。しかし後に身を吏籍に置いてからは、微官におったにもかかわらず、頗る材能を見した。優は情誼に厚かった。親戚朋友のその恩恵を被ったことは甚だ多い。優は筆札を善くした。その書には小島成斎の風があった。その他演劇の事はこの人の最も精通する所であった。新聞紙の劇評の如きは、森枳園と優とを開拓者の中に算すべきであろう。大正五年に珍書刊行会で公にした『劇界珍話』は飛蝶の名が署してあるが、優の未定稿である。
抽斎歿後の第二十六年は明治十七年である。二月十四日に五百が烏森の家に歿した。年六十九であった。
五百は平生病むことが少かった。抽斎歿後に一たび眼病に罹り、時々疝痛を患えた位のものである。特に明治九年還暦の後は、殆ど無病の人となっていた。然るに前年の八月中、保が家に帰らぬを患えて絶食した頃から、やや心身違和の徴があった。保らはこれがために憂慮した。