Japanische Klassiker mit Furigana
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
Lesen Sie 渋江抽斎 (しぶえちゅうさい) von Mori Ōgai (森 鴎外) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 166.525 Zeichen · 334 Bildschirme
縫は享和二年に始めて須磨という女を生んだ。これは後文政二牛に十八歳で、留守居年寄佐野豊前守政親組飯田四郎左衛門良清に嫁し、九年に二十五歳で死んだ。次いで文化二年十一月八日に生れたのが抽斎である。允成四十二歳、縫三十一歳の時の子である。これから後には文化八年閏二月十四日に女が生れたが、これは名を命ずるに及ばずして亡くなった。感応寺の墓に曇華水子と刻してあるのがこの女の法諡である。
允成は寧親の侍医で、津軽藩邸に催される月並講釈の教官を兼ね、経学と医学とを藩の子弟に授けていた。三百石十人扶持の世禄の外に、寛政十二年から勤料五人扶持を給せられ、文化四年に更に五人扶持を加え、八年にまた五人扶持を加えられて、とうとう三百石と二十五人扶持を受けることとなった。中二年置いて文化十一年に一粒金丹を調製することを許された。これは世に聞えた津軽家の秘方で、毎月百両以上の所得になったのである。
允成は表向侍医たり教官たるのみであったが、寧親の信任を蒙ることが厚かったので、人の敢て言わざる事をも言うようになっていて、数諫めて数聴かれた。寧親は文化元年五月連年蝦夷地の防備に任じたという廉を以て、四万八千石から一躍して七万石にせられた。