Japanische Klassiker mit Furigana
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
Lesen Sie 渋江抽斎 (しぶえちゅうさい) von Mori Ōgai (森 鴎外) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 166.525 Zeichen · 334 Bildschirme
、第4水準2-86-13)庭は安政四年二月十四日に六十三歳で歿したのである。
この中抽斎の最も親しくなったのは※(「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2-86-13)庭である。それから師伊沢蘭軒の長男榛軒もほぼ同じ親しさの友となった。榛軒、通称は長安、後一安と改めた。文化元年に生れて、抽斎にはただ一つの年上である。榛軒は嘉永五年十一月十七日に、四十九歳で歿した。
年上の友となるべき医者は、抽斎の生れた時十一歳であった※(「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2-86-13)庭と、二歳であった榛軒とであったといっても好い。
次は芸術家及芸術批評家である。芸術家としてここに挙ぐべきものは谷文晁一人に過ぎない。文晁、本文朝に作る、通称は文五郎、薙髪して文阿弥といった。写山楼、画学斎、その他の号は人の皆知る所である。初め狩野派の加藤文麗を師とし、後北山寒巌に従学して別に機軸を出した。天保十一年十二月十四日に、七十八歳で歿したのだから、抽斎の生れた文化二年には四十三歳になっていた。二人年歯の懸隔は、概ね迷庵におけると同じく、抽斎は画をも少しく学んだから、この人は抽斎の師の中に列する方が妥当であったかも知れない。