Japanische Klassiker mit Furigana
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
Lesen Sie 渋江抽斎 (しぶえちゅうさい) von Mori Ōgai (森 鴎外) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 166.525 Zeichen · 334 Bildschirme
斉民は小字を銀之助という。文化十一年七月二十九日に生れた。母はお八重の方である。十四年七月二十二日に、御台所の養子にせられ、九月十八日に津山の松平家に壻入し、十二月三日に松平邸に往た。四歳の壻君である。文政二年正月二十八日には新居落成してそれに移った。七年三月二十八日には十一歳で元服して、従四位上侍従参河守斉民となった。九年十二月には十三歳で少将にせられた。人と成って後確堂公と呼ばれたのはこの人で、成島柳北の碑の篆額はその筆である。そうして見ると、この人が鬼になって五百に捉えられたのは、従四位上侍従になってから後で、ただ少将であったか、なかったかが疑問である。津山邸に館はあっても、本丸に寝泊して、小字の銀之助を呼ばれていたものと見える。年は五百より二つ上である。
五百の本丸を下ったのは何時だかわからぬが、十五歳の時にはもう藤堂家に奉公していた。五百が十五歳になったのは、天保元年である。もし十四歳で本丸を下ったとすると、文政十二年に下ったことになる。
五百は藤堂家に奉公するまでには、二十幾家という大名の屋敷を目見をして廻ったそうである。その頃も女中の目見は、君臣を択ばず、臣君を択ぶというようになっていたと見えて、五百が此の如くに諸家の奥へ覗きに往ったのは、到処で斥けられたのではなく、自分が仕うることを肯