후리가나로 읽는 일본 고전
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もめんいぜんのこと
木綿以前の事
柳田 国男
柳田 国男의 木綿以前の事(もめんいぜんのこと)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 177,586자 · 348화면
すなわちただこの時代にあってこういう語り草がもてはやされたことを、窺い知らしめる史料であるに過ぎぬ。
しかもこの連歌が追々に後を引き、百句五十句と鏈のように繋いで行くという、また一段と悠長なものになって来たので、それを単簡なる一首両作の連歌と区別するために、後の方をば続ぎ歌とも謂っている。このいわゆる続ぎ歌に方式が定められ、人がこれを守って際限もなく、同じようなことばかりを繰返すようになると、早くもその単調を破るために、別にまた俳諧の連歌の必要を生じて来るのであった。だから初期の俳諧師は、必ず連歌師の門から出ている。伊勢の荒木田守武のように、徹頭徹尾戯れの句ばかりを続けた人も無いではないが、本来は長ったらしい連歌の間へ、時々頓狂な俗な句や言葉を挟むのが興味であったことは、『犬菟玖波集』などからも推測せられる。それが連歌は連歌、俳諧は俳諧と、両者全く別なもの見たいになったのは、言わば前者の零落であり形式化であった。もともと俳諧の連歌は、ただ俳諧をまじえた連歌でよかったのである。それを心得ちがいして荒木田守武式に、どこまでも駄洒落と警句との連発でなければならぬと、思っている人ばかり多かった際に、わが芭蕉翁だけが立ち止まって、もう一度静かに考えられたのである。