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ろうごくのはなよめ
牢獄の花嫁
吉川 英治
「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,213 字 · 325 页
と、腕くびを、つかんで、振った。
「は。聞いております」
「いつも、鶉坂の講義の席で、いうたとおりじゃ。いかなる難事件にぶつかろうが、捕吏たるものは、事件に呑まれて、自分を失ってはならん。自ら、だめと、匙をなげたら、おしまいだ。最後の一瞬まで、斃れる土俵ぎわまで、全能全力で、活路をさがす。――それが同心の精神だ。与力の魂だ。いわんや、江漢は、その子たるものの命を、救うか否かのどたん場じゃ。わしはやる! 最後までやる!」
耀蔵の眼の睫毛は、涙をささえきれなかった。ああお気の毒なことである。やはり、老先生はすこし気がおかしい。そのいうことがどうも妙だ。ふいに、捕物学の講義をはじめたり、前には、嘆息に暮れていたと思うと、こんどは、敢然と、最後までやるという。
第一、やるとは、何をやるという意味なのか?
耀蔵には、それすら、疑われた。
と思うと――老人はまた、急に、ことばの調子まで悲しげに、
「やる! やる! 四、五年前の江漢ならば、きっとやる! だが、わしは、愛縄堂の捕縄供養の時に、もう生涯、十手はとらんと、誓ってしまった。世を捨て、十手を捨てた人間。……それに、あまりに、時間がない。