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ろうごくのはなよめ

牢獄の花嫁

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,213 字 · 325 页

青空文庫

父愛の鞭

「……どうしたぞ、何処におるぞ! 郁次郎は。……なぜ親にそう心配をかけるのじゃ、秋から指を繰って、こうして毎日、長崎から帰るのを待ちわびている親心がわからんのかなあ」

雲に嘆く老人の白髯には、蕭々と、春も、秋めいた風がうごく。

「――途中で怪我でもしたのではないか。それとも、学友どもに誘われて、京か大坂にでも、浮かれておるのではないか。それにしても、手紙ぐらいはよこしてもいいではないか。わしもこの頃は気が弱くなった」

しみじみとした述懐である。だが、孤独な老人には、それを聞いてくれる人も側には誰もいない。

「――妙なことには、近頃はまた、この鶉坂へ、さっぱり人も訪れて来ぬ。富武親娘もどうしたのか、音沙汰なしじゃ。……といって、この門から世間へ出かけるのも何となく物憂いでのう。……郁次郎! 郁次郎! わしは、お前さえはやく戻ってくれれば幸福なんじゃよ。そして、はやく花世と婚儀を挙げてふたりの姿をならべてみたい。それが、わしの今持っているたった一つの望みなんじゃ」

愁然として、老先生の頬に、寂しい影がさした。子供に返って、おいおいと、泣きたいような沈黙であった。