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ろうごくのはなよめ

牢獄の花嫁

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,213 字 · 325 页

青空文庫

鱶の腕

……だが、そんなことはない! 断じて、この世は、まだそれほど暗黒じゃあない……」

と、語尾の二言を、昂くさけんだ。それは、郁次郎に向って、百日の別れを告げることばでもあり、また、その間の忍苦に耐えよと励ますようにもひびいた。

――こうして、郁次郎は、ふたたび牢獄の中へ、戻された。

さて。

ここに事件の解決までに、百日の期間はできたが、老先生には、そもどんな策戦があるか。やがて、一刻の間も惜しむように、飄然として、どこかへ立ち去った。

鱶の腕

明けがたには、ひと盛り鯔が釣れる。すこし陽が出てからは、鱚釣り舟が、笹の葉を撒いたように、釣竿をならべて、糸をあげていた。

品川の海は、いい凪ぎだった。――それに、五月の初旬、季節もいい。遊び半分の太公望が出かけるには絶好である。鎌倉船は、初鰹をつんで朝から何艘も日本橋の河岸へはいった。

「こいつあ大アテ違いだ。海は人目のねえものと思っていたが、陸よりは、人間が出ていやがる」

小舟の櫓をあやつりながら、艫へふり顧って、こう言ったのは、別府の新七だった。

艫には、唖聾が、生れてはじめて海を見たように、ぽかんと口を開いて、めずらしそうに見まわしていた。