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おおおかえちぜん

大岡越前

吉川 英治

「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页

青空文庫

――どちらまで? と訊かれても、帰るに帰る先のない市十郎の口吻と、髪のみだれ、衣服の綻び、血のにじみさえ見える手足に、お島の方から、私の家でよければとすすめ、途中で拾った二丁駕籠の灯をつらねて、ゆうべ晩く、この八丁堀の家へついたのであった。

「お礼なんて、もう、そんな、窮屈なお行儀ずくめは、おやめにして下さいな。家には、婆やのほかには、たれも気づまりな者はいないんだし……それにこういう私は、正直、蓮ッ葉の女なんですからね」

お島は、気性そのまま、さばさばといって、柄のいい男ものの丹前に下着をかさね、うしろから着せかけて、

「まだ、体が痛うござんすか」

「なに、今朝は大したことはないようです。何かと、お世話かけて」

「また、そんな……」と、軽く背をたたいて、肩ごしに、市十郎の襟元を、指先でかき合せてやりながら、顔と顔をふれあうばかりに、

「雪ですよ、今朝もまだ。……お風呂へでも、おはいりなさいな。その間に、朝の御飯をしたくしておきますから」

雪のささめくように耳元へいった。

湯から出ると、かの女は、自分もまだ食べずに待っていたといい、朝の膳からもう帆たて貝の小鍋を立て――そして酒さえつけて杯をすすめる。