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やなぎばしものがたり

柳橋物語

山本 周五郎

前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌、1946(昭和21)年7月<br>中・後編「新青年」1949(昭和24)年1月~3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,300 字 · 202 页

青空文庫

なにかしていてもふと庄吉のことを考えている。蒼ざめた顔や、思いつめたきみの悪いような眼や、おずおずした、けれど真実のこもった囁き声などを、繰り返し繰り返し考え耽っているような日が。……その次には旅のかなたが気になりだした。もうどのくらい行ったろう、箱根はぶじに越したろうか、馴れない土地は水にあたり易いという、病みつくようなことはないかしらん、そして、よく人の話に聞く道中の恐ろしい出来事や、思いがけない災難があれこれと想像されて、ぞっと寒くなるようなことも度たびだった。こういうことが半月ほど続いたあと、少しずつ気持がおちついてくるとおせんは庄吉と幸太とのかかわり、かれらと自分との繋がりを思い返した。

茅町二丁目の中通りに杉田屋巳之吉という頭梁が住んでいる、家にいる職人だけでも十人ほどあり、多く武家屋敷へ出入りをする名の売れた大工だった。おせんの家は元その隣りで髪結い床をやっていた。父の茂七は彼女が十二のとき死んだが、口の重い、癇の強い性質で、あいそというものがまったく無いため、よく知っている者のほかは余り客も来なかった。また母は病身で月のうち十日は寝たり起きたりのありさまだったから、家の中はいつも、鬱陶しく沈んだ空気に包まれ、いつもどこかに溜息が聞えるという風だった。