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やなぎばしものがたり

柳橋物語

山本 周五郎

前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌、1946(昭和21)年7月<br>中・後編「新青年」1949(昭和24)年1月~3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,300 字 · 202 页

青空文庫

六

もちろんそのことをそれほど辛いとか苦しいとか考えていたわけではない、そういう日々のなかにも、それはそれなりに楽しみも歓びもあった。人はたいていな環境に順応するものなのだから、……然しいまふり返って思いなおすと、それがどんなに慰めのない困難な暗いものだったかということがわかるのであった、そして幾ら思いさぐってみても、そこには将来に希望をつなぐことのできる一つの萌芽さえみつけることはできない、なにもかもが不幸と悲しみを予告するように思えるのだった。

「庄さん、あんただけがたのみよ」おせんはとり縋るような気持でそう呟いた、「……どうしていいかまだわからないけれど、でもあんたが帰るまでは、どんなにしてもやってゆくわ、だからあんたも忘れないでね、きっとここへ帰って来てね、庄さん」

六

源六はその翌日ようやく意識をとり戻した。四日めには口もきくようになったが、舌がもつれて言葉がよくわからなかった、眼から絶えず涙がながれ、涎ですぐ枕が濡れた。医者はたいしたことはないと繰り返していたが、左の半身が殆んど動かせないし、頭のはたらきも鈍っていた。涙や涎は病気のためだろうが、そればかりではなく、源六はおせんを見るとすぐに泣いた、そして舌の硬ばったひどくもつれる言葉でしきりになにか云おうとする、はじめはなにを云うのかわからなかった