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やなぎばしものがたり
柳橋物語
山本 周五郎
前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌、1946(昭和21)年7月<br>中・後編「新青年」1949(昭和24)年1月~3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,300 字 · 202 页
二
て、砥石に向っていた。
「おそくなって済みません」おせんはそう声をかけながら、店へはいろうとしてふと気がつき表に掛けてある看板を外した、雨かぜに曝されてすっかり古びているが、まん中に御研ぎ物、柏屋源六と書き、その脇へ小さな字で、但し御槍なぎなた御腰の物はごめんを蒙ると書いてある、おせんは看板の表の埃を払いながらいった、「……このあいだ独活があったのでいってみたのだけれど、きょうはあいにくどこにもないのよ、おじいさん、かんにして下さいね」
「だから有合せでいいって云ったんだ、つまなんぞどうでも秋鯵の酢があればおれは殿様だぜ」
「それではすぐお膳にしますからね」そしておせんはもう暗くなった台所へはいっていった。
二
庄吉はその明くる日、たのんだ研ぎ物を受取りかたがた別れに来た。源六には「三年ばかり上方で稼いで来る」と云っただけで精しい話はしなかった。おせんには達者でいるようにと云い、おもいをこめた眼でじっとみつめながら、まるで泣いているような微笑をうかべた。そしてその日午後、品川のほうにある親類の家から旅に立つ筈で、茅町の土地を去っていった。
おせんは四五日ぼんやりと、気ぬけのしたような気持で日を送った。