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ろうごくのはなよめ

牢獄の花嫁

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,213 字 · 325 页

青空文庫

「――おい姐さん、少ないが、ここへ置いたぜ」

「オヤ、もうお立ちでございますか」

旅商人の男は、小風呂敷の中に包んでいた紺合羽を、ひらっと、燕みたいに引っかけると、前かぶりに笠を抑えて、

「あれだ! 駕の上に、女笠と女草履」

呟いたと思うと、もう駕の速度と同じぐらいに急ぎ出していた。

道中にはいかものが沢山いる。旅を廻る木綿屋の註文取りにしては眼をつける者が少し商売違いである。――と思ってよく見ると、その旅商人、実は、江戸表の南の同心、かの博物会の蝋人形に変事のあった晩に、当然、捕まえ得る花世を捕まえ損ねて、組頭の東儀与力の勘気にふれ、即座に役名を剥がれて江戸をおわれた波越八弥であった。

では――尾けられている駕の女性は誰だろうか。

しかもその八弥が、江戸の品川口から東海道を経て、遥々とここまで尾けて来た以上は、誰かよほどな大物にちがいはない。殊に女の方も、途中からそれを勘づいて、泊りの間も油断なく、隙さえあれば彼をまこうとして互に智と策とを暗黙に闘わせつつ、遂にここまで来たのだった。

女が、矢走の渡船場で、道を訊ねたのを知った八弥は、一船あとから上陸るとすぐに、同じ渡船小屋へ行って、今行った女が何を訊いて行ったのかを抜目なく糺してみた。