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ろうごくのはなよめ

牢獄の花嫁

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,213 字 · 325 页

青空文庫

抱いた小筥

「四明ヶ岳の含月荘へ行くのだが、ほかに裏街道がねえかと訊かれましたで、山はかえって遠廻りになるから、この北国街道をよい加減な所まで駕で行かっしゃいと教えてやったのでがす」

小屋の老爺は、ありのままに、そう答えた。

(よし!)

と、八弥はすぐに足を向け直したが、その寸間に、もう先に見えた女はどこにも姿が見えないのであった。さては、飛んだなと、叡山の下の坂本まで、急いで来てみたが、一向そんな女が通った様子もないとの事に、茶店にはいって、一息やすめていると、何のこッた、やがて、名に負う八景の風光を流し目にして、新駕の中に揺られつつ、湖岸を打たせて来た一挺こそ、先へ行ったはずのそれではないか。

抱いた小筥

「あっ、また一杯食った」

八弥は口癖のように、叫んだ。

永い道中、女の小智に翻弄されて蹴躓くごとに、彼は、そのみじめな狼狽の舌打ちを重ねて来た。

だが、今日はもう必ず女の全部を突き窮めずにはおかない。八弥には、信念があった。自信があった。

四明ヶ岳へ――四明ヶ岳へ。

やがて女は、あの駕を、どこかで降りるにきまっている。――すべてはそれからのことだ。

しかし、そこの含月荘といえば、前黄門龍山公の隠遁地ではないか。