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ろうごくのはなよめ

牢獄の花嫁

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,213 字 · 325 页

青空文庫

もう、そんな時刻はありません」

「なに、時刻がないとは」

「されば、今夜ももうだいぶ更けました。実をいうと、郁次郎の生命も、この、星の光が滅するまでです。――夜明けと共に、この藪牢の前で、断罪になることになっています。すでに、御老中のご印可が、きょうの午すぎには下りていたのですが、武士の情けに、一晩だけ延ばしてあるわけなので……」

「えっ! じゃあ何というか、あの、もう御老中たちの、印可まで、下りているのか」

「ごらんなさい」

羅門は指さした。

「――あの樹蔭には、あしたの朝の荒むしろ、水桶、柄杓、血穴を掘る鍬の道具まで、運んで来てあるのです」

「罪だ! 罪だ! 何のうらみがあって、それを、一晩、牢内から見せておくのだ」

「先生――老先生――お気をたしかにしてください。気を、落着けてください」

「離せッ、わしは、こうしてはおられない」

羅門の支える手を、突き飛ばすように払って、彼は、ふらふらと走りだした。

「星よ。星よ」

老先生の白い髯に、深夜の風が、冷々とながれた。わが子を奪う冥途の扉から洩れて来るような風である。

「――明けるな、明けるな、朝になるな。星よ、もういちど、わしが郁次郎の所へ帰って来るまで、その光を失ってくれるな」