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ろうごくのはなよめ

牢獄の花嫁

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,213 字 · 325 页

青空文庫

と、江漢は、さめざめと泣くように、そう言われた自分の顔を両手で掩って――「面目ない! わしは恥かしい! 法縄を司る公人として三十年、江戸与力の先輩といわれ、めでたく、公職を完うして、去年の秋、名月の夜には、その隠退祝いをかねて、世間の人々から、捕縄供養までして貰った身であるのに、その塙江漢が、今宵という今宵ばかりは、闇夜の鳥も同様、眼も見えねば、心も見えぬ。――ああ耀蔵、この闇は、わしに智力のない闇か、子ゆえの、煩悩の闇か。……手を取ってくれ、手を引いてくれ、わしの足もとは、真っ暗だ。わしは迷う! わしは迷う!」

「もしッ。しっかりなすって下さい」

耀蔵は、彼の手をかたくつかんだ。老人の指先は、死人のように冷たかった。

その冷たさが、耀蔵の熱い手にはっと感じられた。――もしや? ああもしや、老先生は発狂したのではあるまいかと、彼は、声がわなないた。

「どうなすったんです! 郁次郎殿は、どういうことになりましたか」

「郁次郎?」

「私とても、案じられて堪りません。老先生の申し分が届いて、ご子息の黒白が立てばよいがと、祈っておりましたが、はっきりと、談判のご様子を承らぬうちは、胸さわぎがしずまりませぬ」