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ろうごくのはなよめ

牢獄の花嫁

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,213 字 · 325 页

青空文庫

「いかん! これや、いかん」

老先生は、水面を見つめて、ひどく、いらいらした顔いろで、

「女狐め! 逃げる気で飛びこんだならばよいが、のがれぬところと見限りをつけて、身を投げたのだとすると、一大事だわえ」

と、呟いた。

彼の狼狽は、その点にあった。折角、召捕っても、それが死骸で揚がったのでは、郁次郎を救う有力な反証を自白させることができない。

老先生は、せわしい眼で、うしろを見まわした。

「御つり舟師、舟辰」

と、文字だけがかすかに読めて、灯の消えている軒行燈が、ふと、眼にとまった。

どん、どん、どん――

そこの戸を、あわただしく叩いて、

「これ! これ! 釣舟屋。ここを開けい、火急だ。火急だ」

――家のなかで、答えがあったと思うと、老先生は、突然、その腮の白髯を逆しまに上げて、

「うっッ」

と、虚空をつかんだ。

「な、な、なに者ッ? ……」

よろよろと、彼は、うしろ倒れになりながら、自分の喉を締めつけた強い拇指の主を、吊り上がった眸で、肩越しに睨んだ。

「…………」

うしろから、ふいに、老先生の喉を締めた男は、息をのんだまま、口をきかなかった。そして、断末苦にガタガタと骨をふるわしている江漢の四肢の爪から、だんだんに、その生命力が滅消してゆくのを、楽しむように、抱えていた。