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ろうごくのはなよめ
牢獄の花嫁
吉川 英治
「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,213 字 · 325 页
彼が、今朝の目前に迫っている郁次郎の命を救いたい一心に、一代の熱と愛と涙とをもって、舟辰の家の二階で、咄嗟に、書き綴った願文であった。
「采女、馬を曳け」
「はっ」
采女は、その、唐突さに、うろたえた。
しかも、主人の左近将監の眼には、涙がいッぱいに溜っていた。彼は、読み下したその書状を、袂に、まろめこむが早いか、采女が、急いで曳き出して来た駒にとび乗って、通用門から、まっしぐらに、駈け出した。
――町にはまだ、朝霧があった。
またたくうちに、彼の駒は、三宅坂の松平信明の屋敷を訪れたが、折悪しく、信明はその前夜、代々木の別業へ移って静養中ということなので、すぐ引っ返して、そこからほど近い麹町の方へ馬を飛ばした。
「御老中は、お目ざめでござるか。奏者番、小笠原左近将監です。早朝なれば、お寝衣のままにても苦しゅうござりませぬ。それほどに、一刻を争うのです」
次席老中太田備中守は、幸いに、もう書院に出て、朝の苦茗をすすっていた。
面談は、五分間と、かからなかった。
備中守から、一通の書付をとると、左近将監は、ふたたび悍馬に鞭を打って、真一文字に、南町奉行所の正面のまえまで走って来た。