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ろうごくのはなよめ
牢獄の花嫁
吉川 英治
「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,213 字 · 325 页
「あ……そ、それですか。それはあの……何でもございません。鉄漿を解く時に、指を入れて、汚したまま、つい拭きもせずに置きましたので」
「あ、そうか」
と、乾坤堂はつまらなそうに、手を離して、
「あなたは、愛してござる男と、絶えず離れておる象じゃ。それがよくない。去る者うとしという例に洩れぬ方じゃ。なるべくその男の側を離れぬがよい。殊に、土地を離れたらこの縁は切れますぞ」
女は、くどく様々な問を出して、やがて帰って行った。下足番の男は、すぐに戸を閉めて、
「老先生、何だって、網にかかってきたあの玉枝を、みすみす返してしまったんです」
と、食ってかかるように問詰った。
同時に、隣の部屋からも、
「惜しいことをした。今に、老先生が、それっと言ったら、ふん捕まえてやろうと腕をさすっていたのに」
と、言いながら、出て来た者がある。
それは舟辰であり、下足番の男は、千吉だった。
四十二、三の好色家らしい売卜先生は、実に、白髯を剃り落して、頬綿をふくみ、音声まで巧みに変えた塙江漢なのであった。
「いや、それはいけない。――あの女の住居の近くに、こんな売卜をはじめたのも、玉枝を誘きよせる手段には違いないが、今ここで女に縄を打てば、すぐ一方の敏感な悪魔の首領を逃がしてしまう。