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やなぎばしものがたり
柳橋物語
山本 周五郎
前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌、1946(昭和21)年7月<br>中・後編「新青年」1949(昭和24)年1月~3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,300 字 · 202 页
しがみついている手をようやく放し、そこへ置いた包を直して、自分も横になりながらそっと寝かせた。どこか遠くで酔った唄ごえがしていた。三味線の音もかすかに聞える。おせんは静かに身を起こした、足がわなわなと震えだし、喉がひりつくように渇いた。
――さあ早く、いまのうちに。
おせんは夢中で歩きだした。耳がなにか詰められたように、があんとして、いまにもたちくらみにおそわれそうだった。
――早く、早くいってしまうんだ。
おせんは走りだした。するとふいに子供の泣きごえが、聞えた、「ああちゃん」という声がはっきりとするどく、すぐ耳のそばで呼ぶかのように聞えた。子供の手がぎゅっと肩を掴む、子供は身をかたくして震えている。震えながら奇妙なこえで笑った。「はは、ばぶばぶね、ああちゃん、ははは」それは出水の中を逃げるあのときのことだ、恐ろしいということを感づいていながら、おせんの言葉に合わせてけなげに笑ってみせた。ああ、おせんは足が竦み、走れなくなって喘いだ。
――堪忍して幸坊、堪忍して。
両手で耳を掩い、眼をつむって立停った。子供の泣きごえはさらにはっきりと、じかに胸へ突刺さるように聞えた。