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やなぎばしものがたり

柳橋物語

山本 周五郎

前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌、1946(昭和21)年7月<br>中・後編「新青年」1949(昭和24)年1月~3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,300 字 · 202 页

青空文庫

あとになって考えると、わずか四半刻ばかりのその時間は、彼女の一生の半分にも当るものだった。……おせんは覚えている、そのときあたりは昏れかけていた。つい向うに見える両国の広小路も、川を隔てた本所の河岸も、このあいだまでは水茶屋に灯がはいり、涼み客のざわめきで賑わっていたのに、いまは掛け行燈の光もなく、並んだ茶店はもう女たちも帰ったのだろう、ひっそりと暗く葭簾が巻いてある、もう肌さむいくらいな川風に、柳の枯葉はあわれなほど脆く舞い散り、往来の人の忙しげな足どりも、物売のかなしげな呼びごえも、すべてが秋の夕暮のはかなさを思わせるものばかりだった。

庄吉に別れるとそのまま家へ帰った、もう柳原へいって来るには遅いと思ったから。帰るみちみち、おせんの胸はあふれるような説明しようのない感動でいっぱいだった。それは生れて初めての、あまい、燃えるような胸ぐるしいほどの感動だった。庄吉と逢ったわずかな時間、庄吉から聞かされた短いその言葉、その二つが彼女のなかに眠っていた感情と感覚とをいっぺんによび醒ましたのである。街の家並もたそがれのあわただしい景色も、常と少しも違ってはいないのだが、今のおせんにはびっくりするほど新しくもの珍しいように思え、こんなにしっとりしたいい町だったのかと見なおすような気持だった、源六はもう灯をいれ