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ろうごくのはなよめ

牢獄の花嫁

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,213 字 · 325 页

青空文庫

「えっ、あのお奉行の……」

と、女はふるえ出した。

「いや心配することはない。ただ用意として聞いておきたいが、そちの家は、何商売だな」

「駿河町の三井に通っております」

「通い番頭か」

「は、はい」

「平常隣家と懇意にいたしておるか」

「口をきいたこともございません」

「主は女で、笛の指南だな」

「そうらしゅうございます。ほかに、小間使い風の玉枝さんという女もいたようでございますが、十日ほど前から、ちっとも見えません」

「門が閉まっているな」

「はい、その頃から、上方へでも行ったような様子で、女主人のお雪様も見えませぬし、笛の音もしたことがございません」

すると――小門を開けて先へはいった加山耀蔵と波越八弥のふたりが、何を屋内に見出したのか、

「東儀与力! 早く、大変です!」

と、絶叫して呼んだ。

何事かと、あわただしく駈けこんでみると、京普請の小間どりな奥の一室、そこに、当夜の兇行を物語るすべてのものが、八弥と耀蔵のかざす紙燭のもとにまざまざと照らし出されているのだった。

部屋は、十六畳の客間、或いは、指南間ともいえるであろう、まず床には狩野派の清洒な細軸、江月の書額、螺鈿彫の千鳥棚、隅には琉球朱の机、中ほどには華やかな鍋島絨毯が敷かれてあって、その上にすばらしく巨大な花梨の客卓がどっしりとすえてある。