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むすめえんじゅつし
娘煙術師
国枝 史郎
「朝日新聞」1928(昭和3)年8月26日~1929(昭和4)年2月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 267,766 字 · 530 页
姉の慈愛
「おいでおいで安全なところへ」――と、蟋蟀はひとはねはねたが、指の間から畳の上へ飛んで、そこでようすでも窺うかのように、例によって触角を空でふるわせた。
戸外では風の音がする。
風の音を縫って虫の声がする。
が、部屋の中は静かであった。
畳から取り上げた、袷の袖を、鈴江は無言で縫って行く。
そういう鈴江と対座をして、小次郎は腕を組んでいる。
で、部屋の中はしずかであった。
しかしそういう静けさを破って、小次郎の溜息が聞こえて来た。
姉の慈愛
「小次郎やお前溜息をついたの」
「…………」
「妾には見当がついているよ」
「…………」
「お前さんはいやになったんでしょうね」
「…………」
「巷で働くということが。……ねえお前さんにはいやになったんでしょうね」
「…………」
「そうねえ、お前さんの性質としては、それも無理ではないかもしれない」
「…………」
「お前さんは結局書斎の人だよ。……学者としてのお父様の、一面ばかりを受けついだ人だよ。……でも私たちのお父様には、巷に立って号令をして、世を動かそう清めようとなさる、そういう一面もおありになされたのだよ。……でもそういう一面は、お前さんには伝わっていないねえ」