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ひのとびら

火の扉

岸田 国士

「時事新報」1944(昭和19)年1月1日~7日、1月9日~2月25日、3月1日~3月5日、3月7日~3月8日、3月11日~3月15日、3月18日~3月21日、3月25日、3月27日~3月29日、4月1日~4月3日、4月7日~4月11日、4月15日~4月19日、4月24日~5月4日、5月6日~5月9日、5月13日~5月17日、5月20日、5月22日~5月24日、5月27日~5月31日、6月3日~6月8日、6月12日~6月17日、6月19日~6月22日、6月24日~6月26日、6月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,467 字 · 257 页

青空文庫

「それはそうとね、市ノ瀬さん、あたし、あなたにお願いがあるの……」

夫人は、とつぜん、こう言つた。彼は、思わず腰を浮かせて、そつちをふり向く。いまだかつて、彼女からこういうふうに出られたことはないからである。――えゝ、えゝ、なんでもと、眼つきにものを言わせて、じつと夫人をみつめる。

「こればかりはと思つたんだけれども、もうどうにもならないから……。あのね、お炭なの。一俵でいゝからなんとかできないかしら?」

――なんだ、そんなことか、と、彼はすこしひようしぬけがしたけれども、

「はあ、承知しました。お安いご用です」

と、答えた。母親に相談して物置から一俵かつぎ出せばいゝと思つた。

「用意もわるいんでしようけど、いつたいどうなるの、これは? もつとも、これでなければ、だあれも騒ぎやしないわね」

夫人は、そこで精がないというふうに、肩をがくりとおとす。

「しかし、お宅のことぐらい、この家で面倒をみてくれませんか? くれんだろうなあ」

と、彼は、もう、自分でそれを言い、夫人のことさら返事をしない意味を察した。

頼まれた品物は、実をいえば、そんなに気を入れるほどのものでない。