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ひのとびら

火の扉

岸田 国士

「時事新報」1944(昭和19)年1月1日~7日、1月9日~2月25日、3月1日~3月5日、3月7日~3月8日、3月11日~3月15日、3月18日~3月21日、3月25日、3月27日~3月29日、4月1日~4月3日、4月7日~4月11日、4月15日~4月19日、4月24日~5月4日、5月6日~5月9日、5月13日~5月17日、5月20日、5月22日~5月24日、5月27日~5月31日、6月3日~6月8日、6月12日~6月17日、6月19日~6月22日、6月24日~6月26日、6月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,467 字 · 257 页

青空文庫

九

九

まつたくのところ、北原ミユキは、店へたどりつくまで、自分でなにを考えているのかわからなかつた。頭がみだれているというのか、心がおちつかぬというのか、たゞつぎ/\に浜島のこと、尾関のこと、裁判のこと、病院のことなどが、ぼんやり念頭に浮ぶだけで、しかも、そのひとつひとつの幻影が、悲しみとも憤りともつかぬ感情の波の上を、ふわり/\と流れていくばかりである。

彼女は、まだだれも来ていないガランとした店のなかを、シュミーズ一枚になつて、掃除をしはじめた。ゾウキン・バケツの水を、床の上へパチャ/\と手でまく仕ぐさは、やがて、彼女の気分をいくらかほぐしたとみえ、ひとりでに「ボダイ樹」の一節を口ずさむようになる。しかし、ほうきをかついで奥から出て来た彼女の両眼は、足どりの快活さにひきかえて、うつろに沈んでいた。

早番の同僚が二人、三人と、掃除の仲間に加わつた。女主人が湯沸しに火をつけた。

待ちかねたように、客がぞろ/\とはいつて来た。

こうして、また、半日半夜がすぎるのである。

三人連れの客を相手に、彼女は、今日は、思ひきりはしやいだ。酒も飲めるだけ飲んだ。