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ろうごくのはなよめ
牢獄の花嫁
吉川 英治
「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,213 字 · 325 页
ヒラリと、降りて、馬繋ぎの柵へ、駒の手綱を結いつけていると、物蔭から、ばらばらと駈け寄って、彼の足もとに、ぴたりと、両手をついた老人があった。
「おうっ、塙ではないか」
「へへへ」
と、老先生は、地上に額をすりつけてしまった。滂沱としてあふれ出る涙に、胸が迫って、すぐに、顔も上げ得なかった。
「老人、久しぶりじゃのう。――そちが在役中には、何かと、寺社奉行の方にも助力を得たが、隠退したと聞いて、左近将監もかげながら惜しんでおったぞ。その後、健在か」
「無為に、余生を過しておりまする」
「最前の矢文の願意は、左近将監、たしかに承知いたした。安心せい」
その一声に、老人は、張りつめていた気が弛んだように、ぽろぽろと、大地に、涙をこぼして、
「あ、ありがとうござります」
と、肩で、咽んだ。
「事情は、書状に依って、篤と承知いたしたが、郁次郎の冤罪なることは、たしかであろうな」
「もし、それに相違ある時は、郁次郎のみか、父たるこの江漢も、老腹を掻きさばいて、天下に罪を謝す覚悟。――ただ、その冤罪を訴え出る道と、時刻の猶予もなきために、お役違いとは存じながら、直訴の矢文、その大罪は、何とぞおゆるしのほどを願わしゅう存じまする」