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ろうごくのはなよめ
牢獄の花嫁
吉川 英治
「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,213 字 · 325 页
捕縄供養
老人は、ここで本朝最初の蘭医の施療所をやろうという思い立ちらしい。
では、彼は医者かというに、否、否、否、たいへんな職業ちがいだ。
この老人こそ、享和、文化、文政の三時代にわたって、十手捕縄をとって三十年、目明し小頭の下役から、同心、与力と出世して、歴代の江戸町奉行をたすけ、その非凡な大眼識と巨腕は、近代稀れな鬼才と称された名探偵――塙隼人であった。
が、数年前に、その道を隠退してからは、好きな木彫や読書に耽り、号を江漢漁史といって、外へ出るのも、書画会ぐらいなもの。
あの柔和な相、明るい笑い顔、その何処にも、彼がそんな鋭利な眼と才と腕とをもって、社会のあらゆる悪と戦って来た人とは見えない。
捕縄供養
四、五日すると、富武五百之進が、正式に結納を持って来た。
婚儀は、十二月ときまる。
江漢老人と五百之進とは、心と心をゆるし合った莫逆の友。その子と娘とは、おさない頃から親の目にもわかっていた初恋の仲――。何も改めて、仲人も要るまい――で、事は至って簡略にすすんで、もう郁次郎の帰りを待つばかり。
「きょうで、五日経った、もう長崎をだいぶ離れた頃だろう」
老人は、指ばかり繰っている。