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むすめえんじゅつし
娘煙術師
国枝 史郎
「朝日新聞」1928(昭和3)年8月26日~1929(昭和4)年2月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 267,766 字 · 530 页
ところで紋也からいう時には、兵馬の姓名だけは知っていたが、人物を見るのは今日がはじめてでそれとても兵馬から宣られたればこそ、それを知ることができたのであった。もっともいつぞや大川の上へ、屋形船を浮かべて漕がせていた時に、並んで浮かんでいた屋形船の中から紙片を捲きつけた一本の小柄を、こっちの屋形船へ投げ込んだので、こっちからも小柄へ紙片を捲きつけて向こうの屋形船へ投げ返して、挑戦に応じたことがあったが、その小柄を投げてよこした男が、すなわち桃ノ井兵馬であって紙片に書いてあった文字といえば、「私情から申しても怨みがござる。公情から申せば主義の敵でござる。貴殿に闘いを宣するしだい、ご用心あってしかるべく候。――桃ノ井久馬の遺子兵馬より、山県紋也殿へ」――そうして紋也から応じた文字といえば「心得て候」という四文字であった。
まさにそういう出来事はあった。が、出来事はそれだけであって、桃ノ井兵馬という人物を、眼に見たことはなかったのであった。
「ははあこの男が兵馬なのか」
で、紋也は相手を見た。
古びた玄関が一方にある。その前に前庭がひろがっている。その小広い前庭を囲んで、黒い板壁がめぐらされてあって、その板壁に近く寄せて、常磐木が丈高く植え込まれていたが、その枝と葉を漉して来る、飛白のような日の光を浴びて、突っ