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ろうごくのはなよめ

牢獄の花嫁

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,213 字 · 325 页

青空文庫

郁次郎が、ここに護送される途中から、影の形に添うように、隙をうかがっている彼女ではあったが、救い出す術はおろか、近づくことすらむずかしい。

だが、花世はまだ、恋人の命が、あと一刻(二時間)の明け方に、終るものとは思っていなかった。――せめて、自分が、夜ごと夜ごとに、この外にまで訪れていることだけでも、恋人の胸に、知らしたいと思うのだった。

もし、怪しまれたらとも、思うのであったが、彼女は、どうしても、会えぬ恋人の胸に、自分の訪れを知らしたかった。心と心とだけでも、会わせてやりたかった。

裏は、森がふかい。塀ごしに、獄舎の塀がのぞまれる。――花世は、そこに立って、尺八を吹き出した。

この曲を聞けば、恋人は、必ず自分と知るであろう、あの、鈴慕の曲を。

彼女のたましいは、尺八をとおって、七孔から空へ翔けだした。そして、自由に、思うままに、獄舎の、牢格子のなかにさえ、やすやすとはいって、昏々と、疲れ臥している恋人の肩にすがって、その、寝顔をのぞいて、

(郁さま、郁さま。……郁次郎さま)

と、すすり泣くのであった。

甘えている。

嘆いている。

そして、眼をさました郁次郎の心と、彼女のたましいとは、手をとり合って、夜もすがら、語り尽きないのであった。