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よあけのつじ

夜明けの辻

山本 周五郎

「新国民」1940(昭和15)年12月~1941(昭和16)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 42,801 字 · 86 页

青空文庫

父はそれを聞くのがいやでしたそうで、ずっと納戸へしまったきり出させませんでしたの……家へ来て絵を描いたかたは、たいていまた、二度め三度めとお寄りなさいましたけれど、この屏風を描いたかただけは、それっきり音沙汰がございませんてしたわ……いまどうしていることでしょう」

「もうずいぶん昔のことですね」

久馬はそっと眼を閉じた。

彼は佐和を恋していた。物心のつく頃から彼女の俤を追っていた。しかし彼は自分の家柄の低いことを恥じ、自分の才分の拙いのを恥じ、容貌の醜いのを恥じていた。

――自分などの手の届くひとではない。

絶えずそうおのれを抑えながら、苦しい日を送ったものである。三年まえに江戸へ立ったときは、ふたたび彼女を見ることができぬという辛さより、側にいることの苦しさから脱れられるのを悦んだ……三年の時日はやっぱり彼の心にも忘却の救いを与えてくれた。ときおり、幻を描いてみることはあっても、絶望的な、身を噛むような悩しさには襲われなくなった。

――あのひとは、あのひとに相応しい人間と結婚するだろう。そして子を生み、やがて老いてゆくことだろう。

しかし、おれの心にはあのひとが残っている。