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よあけのつじ

夜明けの辻

山本 周五郎

「新国民」1940(昭和15)年12月~1941(昭和16)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 42,801 字 · 86 页

青空文庫

「功刀伊兵衛でこざいます」

あっという低い驚きの声が聞えた。

「声を立てるな、いま人払いをして来るまで、そのまましばらく待て」

囁くように云って、頼母は足早に向うへ去ったが、間もなく戻って来ると、廊下のほうの雨戸を開けて手招きをした……伊兵衛は敏捷に走って行くと、草鞋を脱ぎ、手早く足の汚れを押拭って上へあがった。

「……こっちがよい、まいれ」

頼母は手燭に灯を移し、先に立って渡り廊下から望翠楼の階上へと案内して行った……そこはかつての夜、大弐と別宴を催したところで、東寿が弾じていた琵琶の音色は今も伊兵衛の耳にまざまざと残っている。

「いや、挨拶はよい」

燭台に灯を入れると、頼母は待兼ねたように膝を乗出して云った。

「気懸りなのは山県先生のお身上じゃ。先生は御無事か」

「はい、甲斐のお国許まで、無事にお見届け申してまいりました。御家老……拙者板鼻にて家中の者を傷つけましたことは、山県先生をお救い申すためのやむを得ぬ手段でございました」

「それは分っている。しかし、どうして先生をお救い申す気になったのか。聞くところによると、そのもとは先生を乱臣賊子だと申していた一人でなかったのか」