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よあけのつじ

夜明けの辻

山本 周五郎

「新国民」1940(昭和15)年12月~1941(昭和16)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 42,801 字 · 86 页

青空文庫

火急の場合にもそれだけは移し守ってきた、我家に伝わる古い仏壇を、そのまま眼前に見たとき、伊兵衛は厳粛に身のひきしまるのを覚えた。

燈明をあげ香を点じ、鳴鉦して向直ると、母が古い胴巻に包んだ物を差出した。

「これに金子が百二十両あまりあります」

「それはいけません母上、拙者は」

「いいえなにも云わずに取っておおき」

母は拒むことを許さなかった。

「お父上が御倹約あそばしたので、まだ少しは手許にあります。無くなったらいつでも云っておよこしなさい。母にできる限りは送ってあげます」

「しかし母上や佐和に御苦労をかけては相済みません。拙者はどうにかいたしますから」

「わたしや佐和は女です。賃仕事をしても喰べるくらいのことはできます。五郎次がここに置いてくれるそうだから、けっしてわたしたちのことは心配する必要はありません。持っていらっしゃい」

伊兵衛は黙って平伏し、押戴いて金包を受取った。

別れに臨んでも、もはや云うべきことはなかった。安泰を祈る門出ではない。生きて再会ができるかどうかも分らない。しかし母は健気に泣かなかった。

「では母上、御健固を祈ります」

「……死に場所を誤らぬよう。