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しんちょうき
新潮記
山本 周五郎
「北海道新聞」1943(昭和18)年6月12日~12月20日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 155,541 字 · 305 页
むしろ弟の立場の苦しさをもっともよく理解しているのは兄ひとりだともいえる。そのゆえに、これまで兄は事毎におのれを抑えてきた。
数年まえのことであるが、左近頼該が勤王志士としばしば密会往来するという評判がたち、幕府に異心をいだいているとさえいわれたことがある。それは直ちに弟の身の上にひびくものだった。讃岐守十二万石の家にひびくものだった。すると頼該はすぐに謹慎の意を表して館を去り、亀阜荘へはいって世の交わりを絶った。……また或るときはおのれの声望が藩中に圧倒的となった結果「亀阜荘さまは弟を排して讃岐守を襲うおこころがある」と頼胤の側近から風評がおこった。すると頼該の素行がにわかに変り、大阪から俳優歌妓をよび寄せてみずから役者の真似をしたり、演劇遊楽に耽ったりして、自分を単なる酔狂人にしつらえた。
甲辰の事に当っても、弟の心事をよく了察し、その苦衷に同情して、おのれも一時は水戸と断つに到ったほどである。……左近はこうしてつねに弟の邪魔にならぬよう、弟を苦しめぬよう陰に陽におのれを制して弟をたてることに努めてきた。それに対して頼胤はなにをしたか、十二万石のあるじ、幕府の重職という地位と身分に制せられるとはいえ、事毎に兄の意に反する方向へあゆみ、兄の手足を掣肘するばかりではなかったか。