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やなぎばしものがたり

柳橋物語

山本 周五郎

前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌、1946(昭和21)年7月<br>中・後編「新青年」1949(昭和24)年1月~3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,300 字 · 202 页

青空文庫

水は七日めあたりから退きはじめた。おせんは子供を負って、まだ泥水が脛まであるうちからなんども平右衛門町へいった。あたりはひどいありさまで、流されたり毀れたりした家が多く、勘十の大きな物置などかたちも無かったが、住居のほうは小さいのと藁や蓆が絡みついたためか、少し傾いただけで残っていた。十日めには床もやや乾いたし、梶平にいる友助の女房がすすめるので、お救い小屋をひきはらって来たが、勘十夫婦はやはり姿をみせず、そのままついに会うことはできなかった。

おせんが本当に生きる苦しさを経験したのはそれからのちのことであった。それまでは勘十とお常がいて呉れたし、半分はあたまをいためてもののけじめも明らかではなく、苦労というほどの思いはせずに済んで来た。けれどもこんどは自分のちからで生きなければならない、さいわい住居だけはある、友助の女房がいろいろ気を配って、古いものだが蒲の敷畳も入れて呉れたし、屋根や羽目板のいたんだところも直して呉れた。まだ暑い季節なので寝起きもすぐに困りはしなかった。だがたび重なる災難で世間一般に生活のゆきづまりがひどく、誰にしても他人の面倒などみている余裕はない、おせんはまず友助の好意で材木の屑をわけて貰い、それを売り歩いて僅かに飢をしのぐことから始めた。