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やなぎばしものがたり
柳橋物語
山本 周五郎
前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌、1946(昭和21)年7月<br>中・後編「新青年」1949(昭和24)年1月~3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,300 字 · 202 页
「強いのね幸坊は」おせんは首をねじるようにして頬ずりした、「――なんにも怖くはないのよ、ね、じゃぶじゃぶ、みんなで観音さまへいきまちょ、はいじゃぶじゃぶ」
勘十夫婦とどこではぐれたかも覚えはなかった。猿屋町あたりでお常が忘れ物を思いだし、「あれだけは」と泣くような声をあげた。諦めろとか引返すとか云うのを聞きながら、揉み返すひとなみに押されてゆくうち、気がついてみると二人はみえなくなっていた。湯島の天神さまへということはうちあわせてあったので、いずれは会えると思い、そのまま避難者の群といっしょに湯島へいってしまったが、それが勘十夫婦との別れになったのであった。
聖堂の裏の空地に建てられたお救い小屋で、おせんはまる十日のあいだ窮屈なくらしをした。そのあいだにずいぶん捜しまわったが、勘十にもお常にも会えず、見たという者さえなかった。そのときの水は本所と深川を海のようにし、西岸も浅草通りを越して、上野の広小路あたりさえ道に溢れ、四日ばかりは少しも減るようすがなかった。――だが夫婦はみがるのことでもあり二人いっしょだから、どう間違っても溺れるようなことはないであろう、家へ帰れば会えるにちがいないと思っていた。