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やなぎばしものがたり
柳橋物語
山本 周五郎
前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌、1946(昭和21)年7月<br>中・後編「新青年」1949(昭和24)年1月~3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,300 字 · 202 页
「なんだいあの田舎者は、あれがおせんちゃんの旦那かい」
こう云って激しく咳きこみ、そのまま向うへ去っていった。苦しそうな精のない咳のこえが、ずっと遠くなるまで聞えていた。松造はなにも云わずに莨を吸っていた、おもんの言葉などはまるで聞えなかったように。――夕餉のしたくをするとき、彼は幸太郎を抱いて外へ出ていった。半刻ばかり表通りのほうを歩いて来たらしい、したくが出来て膳立てをしていると、橋のところで彼の唄うこえがした。
「――向う山で鳴く鳥は、ちゅうちゅう鳥かみい鳥か、源三郎の土産、なにょうかにょう貰って、金ざし簪もらって……」
おせんは立っていって切窓の隙からそっと覗いてみた。曇り日の、もう黄昏れかかる時刻で、家と家に挾まれた僅かな空地には冷たく錆びたような光が漲っていた。松造はこっちへ髭の濃い横顔を向け、遠い空を仰ぐようなかたちで唄っている。幸太郎は頭を男の肩に凭れさせ、身動きもせずうっとりと聞き惚れていた。――おせんは、ふと眼をつむった、松造の声にはいろもつやもない、節まわしもぶっきらぼうであった。けれどもじっと聞いていると、懐かしい温たかい感情が胸にあふれてくる。