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やなぎばしものがたり
柳橋物語
山本 周五郎
前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌、1946(昭和21)年7月<br>中・後編「新青年」1949(昭和24)年1月~3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,300 字 · 202 页
よほどなが歩きをした者のように、足から裾まで埃だらけになり、帰るといきなり上り框へ腰掛けたまま、暫くはなにをする力もないというようすだった、幸太郎は首のもげそうな恰好で、くたくたになって背中で眠っていた。……翌日も、その翌日も同じことが続いた。なにをしにどこへゆくかは知らなかったが、おもんは幸太郎が可愛そうになったので、自分がみるから置いてゆくようにと云った。するとおせんはすなおに置いていった。
「今日はすぐ帰るわね、もうあらまし用は済んでいるんだから、今日は早く帰って来るわ」
そんな風に云ってゆくが、やっぱり帰るのは夕方になった。あとから考えてみるのに、そのじぶんもうおせんは普通ではなかったのである。いかに信じまいとしても、庄吉の結婚が事実だということ、山形屋の婿としてすでに六十日あまりも幸福に暮していることがはっきりし始めた。――いいえ嘘だ、そんなことがある道理がない。こう思うあとから事実はますます慥かに、いよいよ動かし難くなるばかりだった。それはおせんを搾木にかけ、火にのせて炙るのに似ていた。明らかに、おせんの頭にはもう変調が起こっていた、あの火事のあとに患った自意識の喪失、精神的の虚脱状態が始まっていたのである。