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やなぎばしものがたり

柳橋物語

山本 周五郎

前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌、1946(昭和21)年7月<br>中・後編「新青年」1949(昭和24)年1月~3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,300 字 · 202 页

青空文庫

なんと云って家を出よう。そんなことは初めてなので、怖いようでもあるし、お祖父さんに嘘を云うことが辛かった。けれども頭のなかでは庄吉の蒼ざめた顔や、思い詰めたようなうわずった眼や、旅に出るという言葉などが、くるくると渦を巻くように明滅し、彼女の心をはげしくせきたてた。……そうだ、おせんは爼板の上の青じそを見てふと気づいた。柳原堤へいつも出るはしり物屋がある、このあいだ通りかかったら独活があった、あれを買って来てつまにしよう、駆けてゆけば庄吉の話を聞くひまくらいはあるだろう、おせんは前垂で手を拭きながら台所からあがった。

「お祖父さん、ちょっといって鯵のつまにする物を買って来ますよ」

「鯵のつまだって」源六は砥石から眼をあげずに云った、「……つまなんか有合せで結構だぜ、あんまり気取られると膳が高くなっていかねえ」

「それほどの物じゃありませんよ、すぐ帰って来ますからね」

そしてなおなにか呼びかけられるのを恐れるように、店の脇から出て小走りに通りのほうへ急いでいった。……中通りをまっすぐにつき当ると第六天の社である、柳原へはそこを右へ曲るのだが、おせんは左へ折れ、平右衛門町をぬけて大川端へ出た。