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やなぎばしものがたり
柳橋物語
山本 周五郎
前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌、1946(昭和21)年7月<br>中・後編「新青年」1949(昭和24)年1月~3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,300 字 · 202 页
或る日の午さがり、おらくが来て「きょうは桃の湯がたったからはいっておいでな」とすすめた、いつかもう土用になっていたのだ、暫く風呂へゆかないで、からだが汗臭かったし、できたら髪も洗いたかったので、おらくにあとを頼んでおせんは風呂へいった。……六月土用の桃葉の湯は、端午の菖蒲湯、冬至の柚子湯とともに待たれているものなので、とうてい髪を洗うことなどはできなかったが、汗をながして出ると身が軽くなったようにさばさばとした。
「ただいま、おばさん有難う」
そう云いながら勝手口からはいった、返辞がないので、風呂道具を片づけて覗いてみると、おらくの姿はみえず、源六の枕許には幸太が坐っていた。おせんはどきっとして、立止った。幸太はしずかにふり返った。
「近所の人の家から迎えが来てさっき帰っていったよ」彼はなんとなく冷やかな調子でそう云った、「……留守を頼まれたものだからね」
「済みません、有難うございました」
「もっと早く来る積りだったんだが、手放せない仕事があったもんでね……たいへんだったな、おせんちゃん」
「ええあんまり思いがけなくって」
「でもまあお爺さんのほうはもうたいしたことはないようだから、そいつはさほど心配しなくてもいいだろうけれど、このままじゃあおせんちゃんが堪らないな、なんとか考えなくっちゃあいけないと思うんだが」