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やなぎばしものがたり

柳橋物語

山本 周五郎

前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌、1946(昭和21)年7月<br>中・後編「新青年」1949(昭和24)年1月~3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,300 字 · 202 页

青空文庫

然し彼は疲れきっていた、もう精も根も遣いきっていたのだ、二手、三手、泳ぎだすとすぐそれに気がつき、これはいけないと思った。そのうえ流れはまん中へゆくほど強くなり、ぐんぐんとからだを持ってゆかれそうだった。彼はひき返そうかと思ったが、眼の前にある手桶に気づき、それに捉まれば却って安全だと考えた。そしてけんめいに身をのし、手をあげて手桶を掴んだ。あげた手はひじょうに重かった、まるで鉛の棒ででもあるかのようにひじょうに重くて自由が利かなかった。それで桶はくつがえり、ずぶりと水の中へ沈むのといっしょに、幸太もからだの重心を失って水にのまれた。

がぶっという異様な水音を聞いて、おせんが蒲団から頭を出した、河面は真昼のように明るかったが、なにやら焼け落ちた物が流れてゆくほかには、どこにも幸太の姿が見えなかった。その人影のない、明るくがらんとした水面はおせんをぞっとさせた。

「幸さん」彼女はひきつるように叫んだ。

「……幸さん」

すると思ったよりずっと川口に近いほうで、はげしい水音がしたと思うと幸太がぽかっと頭を出した。彼は背伸びでもするように、顔だけ仰反けにしてこっちを見た。