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やなぎばしものがたり
柳橋物語
山本 周五郎
前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌、1946(昭和21)年7月<br>中・後編「新青年」1949(昭和24)年1月~3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,300 字 · 202 页
町役の人たちが去ってから、彼女はお常にこう訊ねた。
「おばさん、どうしてみんなこの子の名をこう坊って呼ぶんですか」
「それはあんたが初めにそう呼んだからじゃないの」お常は妙な顔をした、「――毎晩のように幸さんってうわ言を云ってたのよ、それであたしもうちのひともこの子の名だろうと思って呼んできたんだわ、そうじゃなかったのかえ」
「ええ違うんです、それは違う人の名なんです、あたしこの子の名は知らないんですもの」
「そんなら人別にそう書いちまったんだからそうして置きな、幸太郎ってちょっとすっきりした男らしい名じゃないの」
おせんは眉をしかめ、頭を振りながらなにか口の内でぶつぶつ呟いていた。いけない、その名を付けてはいけない、その名だけは決して、――だがなぜだろう、どうしてそんなに悪いだろう。その理由はそこまで出ている、もうひと息でそのわけがわかる、おせんはけんめいに思いつめていった、すると頭の中できらきらと美しい光の渦が巻きはじめ、全身の力がぬけるような気持で、赤児を負ったままそこへ倒れてしまった。
――それからまた痴呆のような虚脱状態にもどったので、これはそののちも一種の癖のようになった。