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ろうごくのはなよめ
牢獄の花嫁
吉川 英治
「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,213 字 · 325 页
「主人は不在かの」
「毎日、駿河町の三井様へ、通い番頭をつとめておりますので、夜分でなければ宅にいたことはございませぬ」
「そうか」
と、塔十郎はうなずいて、
「ではお前でもよいが――いやお前の方がむしろくわしく承知しておるであろうが、この家の女主人――殺害された鷺江ゆき女という者は、いつ頃から当家へ移って参ったのか、それからの事情を細かに話してもらいたいものだが、どうじゃ」
「存じているだけの事は、何なりと申し上げまする」
「む」
と、塔十郎は、ふところから覚え帖と矢立を取り出して何やら誌しはじめた。
女は、お蔦という名からして、それしゃの上りらしく、世事馴れていることばづかいで、問わぬ先までをしゃべり出した。
「たしかこの夏の初め頃かと存じます。はい、こちら様が移って来ましたのは。――そのうちに大蔵流京笛御指南という看板をかけたので、ははあ、女の笛師かと知ったようなわけで、隣り交際もいたしませんから、間に、女主人のお雪様と、口を交わしたこともございません。それでも、塀隣りのことなので、ちょいちょいとご様子を見たり聞いたりしておりましたが、暮しは至って裕福らしく、男気はなく、玉枝さんという若い小間使と二人きりで、お弟子衆の来るたびに、よく笛の音が洩れて参りました」