Japanische Klassiker mit Furigana
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あさくさふどき
浅草風土記
久保田 万太郎
Lesen Sie 浅草風土記 (あさくさふどき) von 久保田 万太郎 (くぼたまんたろう) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 162.294 Zeichen · 318 Bildschirme
と、鎌倉に、カーニバルの騒ぎの了った八月の末、突然、また、つぎのような手紙がぼくの机の上に載った。
“前略
先日、台東区史編纂座談会という会があり、私も出席いたしました。
十四五人の出席者中、広小路からは、私と、それに先生も御存じのことと思いますが、東仲町の渋屋の息子さん、雷門まえのエビスじるこの御主人でしたが、昔の人はじつに少数でした。
席上、私は、田原町の源水横町のことだの、蛇骨湯のことだの、いまは「すしや通り」という立派な道路になった相模屋の露地のことだの、これ又、いまは「公園通り」という広い往来になった浅倉屋の露地のことだの、その露地の中ほどに、ポツンと一けん、茅ぶき屋根の家があり、そのまえに、土地の顔役、出羽作親分が住んでいたことだのを話しました。
出羽作親分といえば、その息子が、新派の小島文衛の弟子になって、竹島文吾と名告り、後、河合武雄の門に入り、名古屋方面に行ったということを聞きましたが、その後どうなったか、御存じないでしょうか。
しかし、広小路もかわりました。本願寺御用の吉見屋は、数年まえ、御主人が気がちがったりして、さしもの老舗もかさなる不幸には勝てないでつぶれ、ただ単に浅草ばかりでなく、東京での名物だった浅倉屋も、押しよせる時代の波に立ち向うことができず、ついに広小路からすがたを消し